実名大好き教育ママゴン | gukkyおばさんの毎日

実名大好き教育ママゴン

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小学5年生になった頃「塾に行かせてくれ」と言われ、
「別に行かなくていいよ。普通にしてたら、広大ぐらいいけるじゃろ?」
「いいや、弁護士になるのに、広大じゃだめだ。」
「ふ~ん。じゃ自分で入塾テスト受けておいで!母さん連れて行ったり、迎え行ったりしないよ。」
 
そんなやりとりして、広島でも人数だけは一番の塾に通い始めました。
坂道を降りた谷のような所にある塾へ自転車で通う。言い出したら頑固。
 
他の習い事や塾より安い。つまり、あまり優秀な講師もよい教材もない塾。
ラサール受験も想定外。ただ受験の時鹿児島へ帰れる。。ぐらいの気持ち。
受験も試しに受けてみたら?程度。なのに合格したら、「なんにもいらない教室
で寝泊りしてもいいから行かせてくれ!」と今度は初めて泣きながら言う。
言い出したら頑固。
 
入学してみたら、お医者さんのご子息が高い割合でクラスにいる。
しがない会社員と保険屋さんの組み合わせなんかうちぐらいです。
出身校だって、名門小学校。もっと言えば、保育園なんか通っていた子は
うちの息子だけという世界。
参観日や行事の時はもう私だけみにくいあひるの子。
車は高級車ばかりなり。保険屋さんとしてはよい市場でした。
おかげで、ご契約もたくさんいただきました。
「あんた、母さんと父さんの子なんじゃけ、頭よくないんよ。
お医者さんの息子とは違うし、金もないんじゃけ、ボーッとしよったら駄目よ!!」
「毎日5000円ぐらいトイレに流しよるんと同じなんじゃけね!!」
これが、当時の決めセリフ。